人の業とは..?それは弱さであり、残酷であり、でも痛感せざるを得ないストーリー
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レビュー
主人公が少女から成人女性までの約半生をかけて、
今いる世界の過去に何が起き、先人がそれをどう作り変え・どう隠蔽し、その結果何が起きているのか?
を、同級生とともに追いかけていく謎解きストーリーになっています。
ファンタジーアニメですが、その世界観を上手く使った内容になっています。
前半の伏線と後半の回収が秀逸で、終盤で物語のキーとなる存在の衝撃的事実が明らかになります。
それが「新世界」を作る上での因果応報を強く感じさせる内容だけに、ストーリーの完成度を大きく高めていると感じました。
現在のリアル世界が、戦争抑止を銘打って軍拡を続けているように
「世界のバランスと調和は危うさと弱さの上に成り立っている」
・・と考えさせられるような壮大なテーマを扱っている作品だと感じました。
ファンタジー作品はその世界観にいかに読み手を没頭させるか?が勝負です。
それがリアリティを失うと、途端に所詮はSF、何でもあり・・となります。
この作品はファンタジー世界の中に、現実世界でも散見される人の弱さやおぞましさが取り込まれており、リアリティーをフィクションの中に凝縮させています。
キャッチフレーズにある
「偽りの神に抗え」
は、全て視聴し終わり新世界の謎が解けた時、なるほど、それが言いたかったか・・と思わず感じさせられます。
名作というのは、
作品タイトルやキャッチフレーズが、最後の最後に
すっと胸に落ちてくる作品
だと思うのです。
こんな方にオススメ
- 伏線と回収シーンが好きな方
- 哲学系が好きな方
- ファンタジー系ストーリーが好きな方
- ミステリー系が好きな方
- 絶望系ストーリーが好きな方
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この作品の考察&口コミ&質問(引用)
もしも、新世界よりのバケネズミと非能力者(呪力の無い人間)と出会い頭であったらどうなるの?
神の能力使えない神様の屑としてか神様の使いとして崇められるでしょうか?
新世界の超能力者の支配する世界で超能力者が非能力者を守る側として最初からしなかったのですか?
僕のヒーローアカデミアと同じ扱われるの?
「新世界より」を最後まで見ましたか?
見ていない場合はネタバレになりますので注意して下さい。
あの世界に呪力を持たない人間は居ません。
呪力を持たない者はバケネズミに変えられてしまったのです。つまり、バケネズミこそが呪力を持たない人間なのです。
呪力を持つ人間の子孫達も、呪力が使えない者や
呪力を上手くコントロールできない者は子供の内に処分されるので
呪力を使える人間しか残りません。呪力を持つ者が、持たないモノを奴隷として扱う世界が
「新世界より」なのです。
新世界よりという本、アニメが顔にあるのですがこの世界があのようになる可能性はありますか?また瞬はさきの事が好きだったのでしょうか?さきは瞬のことが好きだった事がわかりますがいまいち瞬の気持ちがわからなかったです。
最後にもしあのような世界になり、真実を知った時皆さんはスクィーラが言った私たちは人間だという言葉を聞いてどう思いますか?質問が重なりすみません。
純粋に疑問に思ったので質問させてもらいました。
一部の特権階級が、それ以外を差別して暮らしている世界なら
現実に存在しています。北朝鮮とか中国とかがそうでしょう。
底辺の連中には人権なんてありません。上の都合で生かされ殺されるのです。
瞬は早季の事が好きだったと思います。
早季も瞬の事が好きだったでしょう。瞬があのように死ぬ事がなかったら
瞬と早季が結婚していたかもしれません。スクィーラのように差別される側に生まれていたら
そこから逃れる方法を考えたかもしれませんが、
呪力が使える側に生まれていたら、当然のように
受け入れていると思います。人間は自分の都合の言いように考えて生きるのです。
早季は呪力が使える者としては、常識にとらわれない
異端児ですが(だからこそ、富子様が後継者候補に選んだのです)、
その早季だって、あの後バケネズミを人間として自分達と
対等に扱おうとは考えなかったでしょう。そして、スクィーラも自分達の母や、同じバケネズミを
消耗品同然に扱っています。革命を成功させる為とはいえ
やっている事は呪力を使える者と大差がないのです。
新世界よりについての質問です。(ネタバレ注意です)最後悪鬼が愧死機構で死ぬシーンなのですが、悪鬼はどの愧死機構で死んだのですか?
パターン1)バケネズミにも愧死機構があり、
バケネズミとして育った悪鬼が、同士であるキロウマルを殺したことで、愧死機構が働いた。(悪鬼はスクィーラによって、バケネズミの遺伝子が入れられているから?)パターン2)バケネズミには愧死機構はない。悪鬼が死んだのは、呪力を持つ人間に備えられている、愧死機構により、自分をバケネズミだと思い込んでいたことで、同士のキロウマルを殺したと勘違いし、愧死機構が働いた。
↑うまくまとめられていませんが、聞きたいことは、愧死機構は人間に備えられていると書かれてあるが、それは元人間であるバケネズミを含むのか、愧死機構は遺伝子的に同士の物に働くのではなく、こいつは同士であるといった、意思によって、同士と捉えたものに働くものなのか、ということです。
愧死機構が遺伝子的なものによる判断だった場合、キロウマルを殺しても、悪鬼は愧死機構は働かないため死なないでしょう、その場合パターン1出ないと悪鬼が死ぬことはあり得ないと思います。
作品中で悪鬼にバケネズミの遺伝子を入れたという表記は、いっさい書かれていなかったはずなので、パターン1は考えられず、自分的にはパターン2だと思っているのですが、自分の見落としかもしれません。そこら辺どうなのでしょうか、文がおかしくなってしまい申し訳ないのですが、回答よろしくお願いします。
真理亜と守の子供は悪鬼ではありません。
悪鬼は精神的な病気で愧死機構が機能しないので
同族殺しが可能なのです。真理亜と守の子供はバケネズミに育てられたので
自分をバケネズミだと思っているので、
バケネズミ(奇狼丸)を殺したと認識した為に
愧死機構が働いて死んだのです。バケネズミには愧死機構はありません。
彼らはコロニー同士で戦争をする事もあります。
アニメ「新世界より」を見ました
アニメを見終えて一通り解説サイトも回ってそれでもちょっと分からないことがあるのですが、1,悪鬼は「攻撃抑制」「愧死機構」が遺伝子異常で働かないわけですよね?最後奇狼丸の捨て身で猛威を振るっていたマリアとまもるの娘を「愧死機構」により殺すことに成功しますが彼女は悪鬼ではかったということでしょうか?
2,彼女が悪鬼ではなかった場合、一般的な呪力を持つ人間やその中でも特に呪力の高い達人級の人をあんなにも圧倒的な力でねじ伏せることが出来たのはどういった力なのでしょうか?そこら辺の一般人でもある程度の呪力はあるにもかかわらずそいつらを一瞬にして粉々にしたりしていましたよね。悪鬼なら納得いきますが「ただのマリアとまもるの娘」である場合その異常な力の源が気になります・・・
3,彼女が悪鬼でなかった場合、もし本当に悪鬼が現れたとしたらどうやって倒すのでしょうか?倒す方法は存在するのでしょうか?マリアとまもるの娘は「愧死機構」を利用しなんとか倒しますが悪鬼の場合それも通用しませんし「愧死機構」によりこちらから攻撃する事も出来ません。バケネズミ達に頼もうにも一般的呪力を持つ人間にさえ敵わない彼らにはどうにも出来ませんよね。対処法はあるのでしょうか?
4,過去の悪鬼達に対してはどのような攻略をしてきたのでしょうか?
おすすめされて初めはあぁこういうの嫌いなんだよねしかも話分かりにくいし・・・とか思ってたんですけど進むにつれて引き込まれていって最終回でそれが何倍にもなりました良い作品ですね
うまく補完されてる方いましたらここら辺りの解説を是非お聞かせ願えないでしょうかm(_)m
どうでもいい事かもですが、娘じゃなくて息子です
1、愧死機構とは自分と同じ種族を殺すことによって発動します。バケネズミに育てられた彼は、人の手だけで育てられた猿のように、自分は自分を育てた生物と同じ種族だ=化けネズミであるのだ、と思い込んでいたために人を殺しても愧死機構は発動しませんでした。
2、彼は人間に対して攻撃を加えることが出来ましたが、周りの人々は愧死機構が発動してしまうため、彼に対して攻撃を行えませんでした。ボクシングだって、相手しか攻撃できないルールで戦えば勝敗は分かりきってますよね?さらにこの場合はボクシングと違い、呪力という防御より攻撃に向いた力を用いるため、彼は無敵状態でした。
3、4、原作で書いてありましたが、悪鬼を倒す方法としては
1,注射で毒物を注入するなど、なるべく殺意を伴わない方法で愧死機構が発動する前に殺す
2、過去に「防御のために呪力を行使したら、偶然悪鬼も巻き込まれて死んだ」という出来事があったことから、偶然に頼る3、バケネズミや不浄猫に殺させる
の3つの方法があります。
長駄文申し訳ない
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